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Experiences

てんかんについて知る

娘とともに

Tさん / てんかんのある子の母

娘の美香は中学1年の秋頃から意識を消失する発作がおこり始め、やがて大発作も頻発するようになりました。大脳皮質形成異常のゆえで、手術不適応とわかるまでにも何回か辛い手術も伴う検査や入院を繰り返し、その後も迷走神経刺激療法(VNS)の手術や電池交換も何回か受け、今年で26歳になりました。中学生までは普通にできていたことが、発作とともに急にできなっていく日々に悲しみと戸惑いを中学・高校生の頃は経験し、不登校になったこともありましたが、さまざまな形の助けが与えられ、何とか高校を卒業できました。

卒業後の進路を模索している時に、元日本フィル指揮者の先生に出会いました。先生は美香の病気のことも受け入れつつ、熱心に指導をしてくださいました。主に声楽とピアノを学ぶ中で、先生の勧めで昨年のクリスマスコンサートでプロデビューをさせていただきました。練習中に発作をおこすこともあり、一緒に出演するコーラスやオーケストラの方たちには心配をおかけしていました。そのような中で、先生は「もし本番中に美香が発作をおこしても、私が美香を抱えて舞台の袖に連れて行くから、その間は何もなかったかのように皆さんは演奏を続けてください。全ての責任を私が取るから」とまで言ってくださいました。しかしながら、コンサートの日が近づくにつれて美香の緊張は高まり、何度も挫けそうになっていました。人一倍人前が苦手なのも美香にとっては、乗り越えなければならないハードルの一つでした。

美香さん

コンサートのために正装

多くの方たちのお祈りの応援の中、最後まで歌い切ることができました。身内の評価は「あそこで音がずれた!声量が足りない」など、私を含めなかなか厳しかったですが、それでも美香の歌声に「涙が止まらなかった」「癒される思いがした」「天使の声のようだった」などの身に余る感想もいただきました。今も音楽を通してどなたかの心に届き、慰めや励ましになればという願いを持って学び続けています。発作で寝込んだり、記憶障害に悩んだりしつつですが。

美香の発作のパターンはまちまちで、小さい発作でも無意識に歩いてしまう時もあり、危うくホームに入って来る電車に接触しそうになったり、階段から落ちたり、交差点の真ん中に立ち尽くしていたりなど、命の危険もあるので、今も私ができる限り送迎しています。送迎を始めた頃、娘は中学生で、友だちに知られるのが嫌で反発していました。私はカツラをかぶって変装して尾行するという探偵のようなことまでして、自分で言うのもなんですが、尾行が上手くなったと思っていました。そんな矢先、電車の中で大発作をおこし倒れた娘のところに、いきなり茶髪のロン毛の変なおばさんが駆け寄ってくる姿に娘の友人は固まってしまったことでしょう。今思うと恥ずかしい思い出ですが、当時は私も必死だったと思います。今は仲良く(?)一緒に歩いていますが。

お母さんと美香さん

共に笑顔で

美香が音大に入ってからは、私も一緒に付属のコーラスに加わり、なぜか事務の仕事を任されて、全く知らないコンサート業務の世界にも足を踏み入れ、予測不能の日々を過ごして6年が過ぎました。先の見えない不安と、義母の介護も加わり、目の回る忙しさゆえ、私も何度も挫けそうになったり、理不尽だ!と怒りが湧くようなことがあったり、私のやっていることは意味があるのか?と疑問に思ったり…でもこうしてこの原稿を書きながら思い返してみると、全く知らないコンサートの裏方や、石巻・上野公園・老人ホームや海外での公演など、思いもよらない貴重な経験をさせていただいたことに感謝しています。そして今は、私も声楽とピアノを習い始め、新鮮な感動を覚えています。美香ともよく一緒に歌いますが、家では「綺麗な水に墨汁が一滴垂らされたような不協和音だ!」などと息子にからかわれています。

指導してくださる先生が言われているように、心から歌い笑顔になることで、自分も周りの人も豊かにされていくことを願って、娘と共にこれからも労していきたいです。